
2023.9.13
これからの「書くこと」を考える
国語科の「書くこと」について考える連載。「個別最適な学び」について迫った第1回に続き、「協働的な学び」についてのアイディアを紹介いたします。
VUCA(Volatility[変動性]・Uncertainty[不確実性]・Complexity[複雑性]・Ambiguity[曖昧性])という四つの単語の頭文字をとった言葉)と呼ばれる先行き不透明な時代を迎え、学びの姿も変革を求められています。具体的には、従来の「正解のある課題に教師の問いで教師と挑む学習」から「正解のない課題に自らの問いで仲間と挑む学習」への転換です。
「自らの問い」で学ぶためには、「個別最適な学び」への移行が必要です。それは、前回述べました。しかし、「個別最適な学び」だけでは孤立した学びを招きかねません。そこで、「協働的な学び」も同時に求められるのです。
「書くこと」の学習指導においては、取材・構想・記述・推敲のどの場面でも「協働的な学び」が生じます。仲間の発想や記述に触発されることもあります。仲間に相談することもあります。そのような自然発生的な「協働的な学び」は、大いに歓迎すべきです。そのためには、自然な学び合いが生じるような教室の空気の醸成が必要です。
しかし、教師が意図的に「協働的な学び」を仕掛けるとしたら、共有の場面でしょう。
よく共有の場面で見られるのが、互いの作品を読み合わせ評価させるような授業です。このとき、私たち教師が留意しなければならないのが、評価の観点を示した評価表で、互いの作品を評価するような授業です。子どもどうしで値踏みをさせる心ない行為に、指導者の先生は意外と気づいていません。
そのような授業に出合うと、協議会でこんな話をします。「先生の授業を参観する先生方一人ひとりが評価表を持ち、『発問や指示の声量は適切か』『児童の発言を多く引き出していたか』などチェックをされていたら、どうですか?」と。ほぼ全ての先生が「嫌だ」と言います。そうでしょう。誰だって、評価されるのは嫌いです。自分が嫌なことを児童にしてはいけません。相手の想いも分からないのに、互いに修正をさせるのはもってのほかです。
教室にいる児童は仲間であって、無責任な批評家にはしたくありません。大切なことは、書き手の目的や意図に応じて、作品を楽しく読むことです。
感想を書かせることもよく行われます。しかし、児童の感想を見ると、「字がきれいです」「絵がじょうずです」といった単元の目標と程遠い記述にあふれています。書き手の目的や意図に応じた感想が書かれることは、稀です。その感想を手にした児童も、ルーティンをこなしたようで感動もなさそうです。
そこで、先生方にお勧めしているのが、次のような共有のためのカンファレンスです。カンファレンスとは[協議会]を表す言葉です。一般的には、読み手が書き手に感想や意見を述べるというイメージがあるでしょう。
しかし、ここで発想を逆転させます。読み手が書き手の作品を読んで語るのではなく、読み手が書き手に定型の質問をすることから始めます。読み手が評価するのではなく、書き手自身が評価するように、聞き手(読み手)がファシリテートするのです。
具体的には、こんな質問です。
●あなたは、この作品を読んだ人からどんな感想がもらえたらうれしいですか?
●そのために、どんな工夫をしましたか?
●その工夫は、うまくいきましたか? 点数をつけるなら何点ですか?
●もう少し工夫をしたかったなと思うことはありますか?
●どうして、そこを工夫したいと思うのですか?
●最後に、私に何かアドバイスしてほしいことはありますか?
こうすると、フリートークが、相手のニーズに応じた内容になります。「Aさんの書き出しの工夫は、私も素敵だなって思ったよ」「Bさんが悩んでいるっていうこの文だけど、~たり~たりって長いから、二つの文に分けてみたらどうかな。私だったら……」「もう一つ、ここに会話文を加えたらどうかなあ」というような対話に変わります。
このカンファレンスを、相手を交換して何度か繰り返すのです。
何度も質問を繰り返すと、このような問いで自問自答するようになることが期待できます。自分の作品を読みながら、「自分はこの作品でどんな感想をもらえたらうれしいのかな?」「そのために、ここを工夫したつもりだけど、どうかしら?」という問いが生まれるのです。つまり、カンファレンスでの問いを繰り返すことで、それがメタ認知として働くことも期待できるのです。そして、目的や意図に応じてリフレクションできる児童が育ちます。
このような共有なら、児童を無責任な批評家にすることなく、仲間として育てることが可能です。