
2025.7.16
野矢先生に、きいてみよう!
野矢茂樹(のやしげき)先生とともに「国語」について考えるシリーズ。先月の記事を受け「ふだん使いの言葉を教える」授業のヒントをご紹介します。記事の最後では、読者のみなさんから野矢先生への質問も募集しています。ぜひ「お便り」をお寄せください!
国語は勉強しがいのある科目なんだ。なによりも生徒たちにそう感じてもらいたい。そのためにはどうすればよいのだろう。
私自身の経験を語ろう。中学三年だったろうか、受験勉強として、私は自分に要約の練習を課した。誰に言われたのでもなく、自ら始めて、百回ほどやったというと盛り過ぎの気もするが、記憶の中ではそのくらい大量にやった。一回や二回では意味がない。大量にやることに意味がある。文章を読み、その核心をつかみ、それを限られた字数に表す。これがすごく力になったと感じている。たぶんそのとき私は自分のこととして、国語は勉強しがいのある科目なんだということを実感したのだと思う。だから、読むこと・書くことが苦手という生徒たちが、要約の練習などを通して、より楽に、より速く、より正確に読み、書くことができるようになっていくことが実感できたときには、おお、国語って、やっただけのことはあるじゃん! と思ってくれるのではないか。
では、どうすればふだん使いの言葉を読み、書く力を育て、鍛えることができるのだろう。できること、やるべきことはいくつもある。そのうちの一つが、いま挙げた要約の練習である。要約は、たんに長い文章を短くすることではない。文章の構造を把握しなければ要約はできない。木に喩えるなら、幹(中心部分)を残し、枝葉を刈り取るのである。おそらく長い文章を読むのが苦手な生徒は、すべての文が均等の重みをもって目に入ってきているのではないだろうか。幹と枝葉の区別もなく、いわば藪のように捉えてしまっている。そこで要約の練習をすることによって、文章の骨格が見えてくるようになり、メリハリのある読み方ができるようになる。より楽に、より速く、より正確に読めるようになる。要約の練習というのは国語力を鍛えるには最適なのである。
そこで、中学や高校でも参考になることを期待して、私が立正大学で一年生向けに行っていた要約の練習の授業を紹介してみよう。
いきなりできあいの長文を出して「要約しなさい」と言っても、うまくいかない。そんなことをしても、まだ要約の仕方も分からない生徒たちは戸惑うばかりだろう。そこで、まず「プール指導」から。失礼ながら国語の教科書に掲載されている文章でさえ、なかなか要約しにくかったりする。そんな生の文章を差し出して要約してごらんと言うのは、泳げない子どもを海に突き落として「泳いでごらん」と言うのに等しい。だから、まずプール指導、つまり要約しやすい文章を使う。そのためには、要約の練習用にあつらえられた文章がいい。とはいえ、時間の制約という越えがたい壁があるだろうから、これは理想論になってしまうかもしれないが、でも、可能なかぎり要約しやすい文章を選んで、だんだんステップアップしていくようにしたい。ちなみに、私が自分の著書(『増補版 大人のための国語ゼミ』)で出した、要約の最初の問題はこうである。
次の文章を40字程度で要約しなさい。
観光地の寺院の多くは拝観料を取るが、神社は基本的に参拝するだけならば無料である。例えば、伊勢神宮も出雲大社も拝観料は取らない。ただし、例外はもちろんあり、日光東照宮などはけっこう高い拝観料を取る。
そして、たんに「要約しなさい」と言うだけではなく、要約の仕方を教えなければいけない。いくらプール指導でも、ただ「泳いでごらん」では泳ぎはうまくならない。私は要約の練習に際して、次の七つのアドバイスを学生に示している。
(1)具体例は多くの場合に切り取ることができる。
(2)補足説明は多くの場合に切り取ることができる。
(3)横道への脱線は切り取る。
(4)繰り返しは適切なものを一つ残すか、自分で一つにまとめる。
(5)中心的主張に対する解説は基本的に切り取ってよい。
(6)中心的主張に対する根拠はケース・バイ・ケースで判断する。
(7)導入部は多くの場合に切り取ることができる。
上に示した例題はアドバイス(1)と(2)を説明するためのものである。これらのアドバイスはもちろん要約のためのマニュアルではなく、目安にすぎない。そのため、アドバイスも「多くの場合」とか「基本的に」という言い方になっている。
こうした問題を重ね、だんだん難易度を上げていく。このアドバイスを知識として覚えても意味はない。要約の技術を身につけねばならない。そのためには反復練習あるのみ。そしてだんだんグレードアップしていき、ある程度長文に向かえるようになったら、要約文の文字数を変えて長めの要約と短めの要約を二通り作らせるのも、よい練習になる。要約文の長さを変えることで、長いときには残す部分が短いときには削るといった、文章の軽重の感覚が身についてくるだろう。
立正大学での学生の反応はおおむね良好で、他の授業で「要約しなさい」という課題が出されても、やり方がよく分からなかったのでありがたかったという声が多く聞かれた。また、他の先生からこんな報告を受けもした。彼の授業で要約をさせたところ、ある班だけが断トツにうまかった。聞いてみたら、野矢先生の授業で教わったとのことだった、と。うれしかったなあ。自分の授業の成果が確認できるのは、教師として最高の喜びである。
要約の練習を例にとって詳しく述べてきたが、ふだん使いの言葉を鍛えるためにやれることは他にもいろいろある。アイデアだけを記しておこう。
論理的な文章にとって接続表現はきわめて重要である。そこで、しっかり接続表現を使って筋道立てて(つまり論理的に)書かれた文章を用い、その接続表現を取り除いた文章を生徒に示して、適当な接続表現を補って、より読みやすい文章に書き直させる。接続表現がある文章もない文章も情報量は同じである。だが、接続表現を入れることで文章の流れが明示され、読み手に負荷をかけない文章になる。あるいは、元の文章の中の接続表現のどれかを不適切なものに(例えば「しかし」とあるのを「だから」に)変えて、どこがおかしいか、どう直せばよいかを考えさせる。こうした問題も、ひじょうに効果的である。
教科書にはいい文章ばかりが載っている。いい文章を読むことは国語力にとって基本であるから、それはもちろん重要なことだ。しかし、悪文ないしあまりよくない文章を提示して、どこがよくないのか、どう直せばよいのかを考えさせる授業も同じくらいだいじだろう。最初と最後が別の話題になってしまって一貫していない文章。複数の話題が雑然と並べられ、しかも入り組んでしまっている文章。説明が必要な言葉を説明抜きに使用しているとか、「すてきな高校の先生」のようにかかり方が曖昧な言葉を使っている文章。これまで教科書からそういう文章は排除されてきた。しかし、それだけでは足りない。ダメな文章を読んで、どこがダメなのかを見抜き、どうすればいいのかが分かるようになることも、いい文章を読むのと同じくらい重要なのだ。
まだ他にもやれることはあるだろう。いずれも、従来の読解中心の授業からは離れたものになっている。しかし、読解の授業が悪いと言いたいわけではない。それ以外にも国語はやるべきことがあるはずだと言いたいのである。とはいえ、またしても、授業時数が足りない。嗚呼!―― 現場の先生方のお知恵を拝借したい。
ここで、読者のみなさんからの質問を募集したいと思います! 以下のリンクのフォームから、国語について気になること・疑問に思うことなどをお送りください(〆切:2025/8/31)。みなさまからの「お便り」が集まったら、それに答える記事企画もやってみたいと思います。投稿、お待ちしています!