幼保小接続を考える 子どもたちの学びのストーリーを紡ぐ スタートカリキュラム(後編)

2025.3.12

幼保小接続を考える

子どもたちの学びのストーリーを紡ぐ スタートカリキュラム(後編)

安藤浩太(昭島市立光華小学校教諭)

吉永安里(國學院大學教授)

前編に引き続き、1年生の担任の視点から安藤浩太(あんどうこうた)先生、幼児教育の視点から吉永安里(よしながあさと)先生、お二人をお迎えしての対談です。後編では、子どもたちと1年間過ごすうえで大切なことをお届けします。

―― 幼稚園・保育所等(以下、園)の実態について、小学校の先生が知っておくとよいこととは何でしょうか。

吉永:子どもたちが過ごしていた園から引き継ぎを受ける際、「何をしていたか」だけではなく、「どんなふうにしていたか」を知ることが大切です。例えば読み聞かせは、園では子どもたちを部屋の前のほうに集めて行うところが多いです。小学校の「読むこと」の学習でも、先生が前に立って行う範読ではなく、机をよけて前に集まって聞くほうが、子どもの安心感につながったり、お話に集中できたりするかもしれません。

安藤:子どものたちの1年間、もしくは活動や遊びのまとまりの中でのストーリーを大切にするということにつながってきますね。子どもたちにとってはストーリーを描きながら学習が展開されていくのは当たり前のことだし、だからこそ学習が深まるという面があります。引き継ぎも、小学校に入ってくる前に、園の先生がたが何を願い、どんな手立てで、どう子どもたちが育っていったのかというストーリーを知ることで、小学校での教育に生かすことができるんですね。

各教科・領域の教材や活動、内容は一つのピースだと考えていいんです。一つ一つのピースを子どもたちの実態に沿ってどう組み立てていくか、組み替えていくかということが、カリキュラムを設計する、もっと言うとストーリーを紡ぐということだと思うんですね。それは幼児教育でもだいじにされてきたことです。子どもの学びのストーリーを描こうとする姿勢が、幼児教育と小学校教育との間で接続されたらすてきなことですよね。

安藤先生 安藤先生

―― 学びの「ストーリー」とは、例えばどんなことでしょうか。

吉永:例えば、国語の教科書にはさまざまな領域の単元が入り交じって配列されていますが、おそらく先生がたには「書くことの流れ」「説明文の流れ」という系統・領域の道筋が見えていると思います。ところが、子どもは1単元ごとに学習が完結して「この間まで説明文をやっていたのに、今度は作文を書くの?」と、思考が途切れてしまう。説明文の中で積み重なっていく学びの流れ、前に学んだことや、なぜ次の説明文を学習するのかというストーリーを先生がうまく作って、学びの動機につながるとよいなと思っています。

これは国語の中での関連の話ですが、もう一つ重要なのが合科的な考え方です。学習していることが、今度は別の教科にネットワークのようにつながっていくカリキュラムの考え方をしていかなければと思っています。

よく、低学年は「生活科を核に」と言われるのですが、直接体験をするから、子どもからいろいろな思い・考えが出てきやすいんです。教科書もそれは意識されていて、その時期に生活科で子どもたちが経験していることが、ほかの教科の中でも同じ題材で取り組めるといった工夫があります。だから、子どもの意識の広がりを追体験するように、生活科の教科書を見ながら「こんなことを経験していたからこれは国語につなげよう」「こっちは算数で広がりそう」と考えていくと、カリキュラムが子どもたちの思考に合ったものになっていくんじゃないかなと思います。幼児期の子どもたちは連想ゲームが大好きなので、こういったウェビングのような考え方は、実は子どもたちの思考にもマッチしているんですよね。そこにストーリーの意味付けをするのが先生の役割です。

安藤:教科等横断的な学習というと、例えば子どもたちが学校探検に行って、鍵の閉まっている教室を見つけたとします。すると「先生がたくさんいる部屋(職員室)に鍵があったよ。何て言ったら貸してくれるかな?」というように、問いを持ち、解決するための手段を考えるのです。そこで国語の1年上巻の教科書(東京書籍)を見ると、「なんていうのかな」という単元があるんですよね。担任の先生が鍵を開けるのは簡単なのですが、こうやって子どもの興味・関心に合わせて、先生が自分の中で教科書のピースをつなげていく、これはスタカリ期が終わったあとも展開できるようにしたいです。そのためにもまずは教科の系統性や教科の本質・ねらいを理解する必要がありますね。

吉永:生活科の教科書には「あさがお」が教材として出てきますが、なぜあさがおなのかというところから、子どもたちとカリキュラムを試行錯誤しながら考えるのも楽しいですよね。1年生で育てたい資質・能力を子どもたちに提示して、「この授業ではこういうことをみんなに学んでほしいと思ってるんだけど、何を使うのか、どんなふうにやるかいっしょに考えよう」と投げかけると、もっと子どもたちにとって考えたくなる、わくわくする、頭も心も動く授業になるんじゃないかなと思います。

吉永先生 安藤先生

―― 子どもたちのわくわくがあふれる授業になったらすてきだなと思います! 具体的な実践の例をぜひ教えてください。

安藤:物語の実践を例に挙げると、どの子にも同じ世界観に入り込んでもらうことがまずはだいじだと思っています。

学校探検だと、「学校を探検場所に見立てて探検するぞ」という世界観が単元名にも表れていますよね。国語の「読むこと」でも、まずはそういう世界に浸ってから読み深めてもらいたいです。私は、子どもたちに同じところにぎゅっと集まってもらってから読み聞かせをして、その後で「このお話で何をしたい?」と聞くことが多いです。そうすると、子どもたちの幼児期の経験が想起されて、劇遊びを誰かに見てもらいたいとか、これはシリーズ物だから違う話も読んでみたいとか、いろんな話が出てくるんですね。

劇遊びで、みんなで本物の世界のような劇にするという目的ができたとします。このとき、先生が「このときの動きはこうだよ」「登場人物のせりふをみんなで挿絵から考えてみよう」といった指示を出して、一斉・一律の活動にする方法もあります。しかし、登場人物のお面を作りたいという子もいれば、すらすらナレーションをするために音読練習がしたい子もいるはずです。そのように子どもたちの思いから湧き上がってきた活動がさまざまあっていいのではないでしょうか。

子どもたちの思いを引き出すには、一人一人がお話を追究できる、余白がだいじです。前編でもお話ししたように、先生が全てを教えてしまうのではなく、子どもの思いや願いが表れるための余白があってこそ、その思いや願いを叶える実践ができるんですね。さらにその根底には、同じ世界観を共有していることが必要になってきます。

吉永:一方で「子どもの主体性を重視した結果、子どもたちからやりたいことが挙がってこなかったらどうすればいいのですか?」という質問が出てきそうですが、私は学びの動機はその子から湧き上がってきた思いだけではなくて、友達にあってもいいと思います。友達がやってみたいと言っているから自分も興味を持つ。他者へ関心をもつことは幼児期から培われてきたことで、小学校に入った子どもたちもその延長線上にいますよね。

1年生を担任していたとき、金子みすゞの記念館に行ったことを話してくれた子がいました。それを聞いて「私も詩が好き」と言う子が何人かいたので、詩の単元を設定したことがあります。その際、教師からも「私も金子みすゞが好きなんだ」と話をしたり、「そういえば◯◯さんも詩の本を図書館で借りてなかった?」と揺さぶりをかけたりすることも大切です。これもストーリーを作るということですね。

1年間で何を学ぶか、どういう資質・能力が育たなければいけないかが先生の中で整理されていると、子どもたちがこういうことをやりたいと興味を持ったときに、自然と今学ぶべきことだと分かることがあるんですよね。そのときに、柔軟に単元の配列を考えていくこともだいじですし、小学校では一人一人の子どもたちの活動を意図的につなげて単元に焦点化していかなければいけないので、先生側の計画性が重要になってきます。

吉永先生 吉永先生

―― 先ほど、劇遊びをする中で子どもたちそれぞれがやりたい活動を取り入れるというお話がありましたが、学びに偏りが出てしまうおそれはないでしょうか?

吉永:確かに、劇遊びの中でお面づくりをしたいという子、音読をしたいという子がいたとして、それぞれの活動の中で育つ資質・能力は異なります。子どもたちのやりたいことばかりに任せていてはいけないのでは、という心配はもっともです。

ただ、今、この時間にやらなかったことが、今後ずっと経験できないということはないのではないでしょうか。ある単元の中でお面づくりをした子が、次の単元でも同じお面づくりをやりたいのか、それとも音読に挑戦したい思いが子どもから湧くのかということもありますし、違う活動に取り組んでもらいたいなら、目が向くような声かけをしていけばいいのです。一つの単元の中で資質・能力を育成しようと考えずとも、誰がどんなことをやったのか先生が把握しておくことが大切で、それを次の単元で、あるいは別の教科の中で補完していく発想が必要だということは、幼児教育では当たり前の考え方ですが、小学校教育でももっと大切にしたらよいと思います。

安藤:園の先生は長いスパンで子どもたちの活動を見取って、援助や環境構成をしていますよね。一方で、これは私自身のことなのですが、1単元のこの10時間の中で、この資質・能力を身につけねばならないと思っていた時期がありました。でも、この子たちの学びは一生涯続くので、少なくとも低学年の「読むこと」であれば、2年間を通して資質・能力を育めばいいと考えるようになりました。大切なのは、その単元の中で、半ば強制的にその力をつけさせることではないんです。

子どもたちがチャレンジや試行錯誤をする中で、もしかしたら学年相当で身につけることを超えるかもしれないし、この単元で身につかなくても、次の単元で身につく可能性もある。そこを先生がしっかり見取って、子どもたちの動きや思いを見て、ふさわしい関わり方や、支援、援助、指導をしていくべきです。それが本当の意味で、子どもたちが主体性を発揮することを支えるということだと思います。

吉永:全員で同じことをして、先生が一律に指導したとしても、みんなが一つの到達目標を達成できるかというと、そんなことはないんですよね。

安藤:先ほど、劇遊びの例を出しましたが、誰かの学びの成果はその劇遊びに還元されていきますよね。自分で主体的に何かを選び取って無我夢中で学んだときの子どもたちの伸びは本当にすごいです。「次はあの子みたいに音読してみたい」というところから自然と音読を頑張るケースも多いです。友達が憧れの存在、モデルケースになるんですね。

吉永:そう考えると、改めて一人一人の学びの履歴を先生が把握して、その子がどういうルートでどういう方向を向いて学ぶのが好きなのかを観察しながら、この子といっしょに活動したらもっといいのではという、人のつながりを考えた学びも生まれてくると思います。

また、高学年になると、一人一人の子どもの個性や嗜好性が外に言語化されて見えてきて、「読むこと」の授業でも、読み方にその子の個性や経験が強く出てきます。でも、目の前の子どもたちに対して、「どういう興味・関心がある子なんだろう」「どんなところでこの子の主体性や思いを発揮してもらおうか」と考えながらやっていくのは1年生でも高学年でもいっしょです。そういう目で考えると、スタカリ期や架け橋期のカリキュラムづくりは、他学年のカリキュラムを考えることにもつながっていくのです。

安藤:高学年になってくると子ども自身も学びのストーリーが見えてくるので、思いや願いがより具体化されて、この教材にこの活動をぶつけてみたいという思いが明確に芽生えます。そうすると、教科書にある材の中から自分の思いに沿ったものを選択できますし、教材の提示の仕方も全然違ってきます。ストーリーを描くことがスタートカリキュラム、もっと言うと幼児教育から通底して流れていく大切なものになっていくといいなと思います。

ピースを組み合わせて、その子たちの実情や、先生自身の主体性も発揮しながら単元を作っていくことは、本当におもしろいですよね。それが子どもとフィットしたときに、私たちの想像や常識を超えていく子どもたちの姿は尊いし、学び自体が愛おしい。それが教員という仕事のおもしろさだと日々実感しています。

―― 最後に、全国の先生がたへメッセージをお願いいたします。

安藤:小学校の教員はものすごく楽しい仕事だなと思います。ただ、楽しむためには、必要な知識、学ばないといけないこともあります。子どもをよく見ながら、子どもに寄り添いながら、自分も自己研鑽しながら…その先に楽しい小学校1年生の担任ライフがあります! これをお読みのかたがぜひそういった1年間を過ごせますように、ということをエールのメッセージにしたいと思います。

吉永:大切なのは、その子たちがこの1年間で何を学んで、どんなふうに育ってほしいかというストーリーを持つことです。それから、子どもの実態を知るために子どもと向き合って、客観的に観察することも大切ですが、まずは、子どもといっしょに何かをすることを楽しむ姿勢を持ってほしいと思います。「子どもを」「子どもに」ではなく、「子どもとともに」というものの見方・考え方が、よい授業づくり、よい学級経営につながっていくと私は思っています。

―― 吉永先生、安藤先生、すてきなお話をありがとうございました!

(聞き手:こくごスタジオ編集部)

ほかの記事を読む

TOPへ