対談 なぜ国語はおもしろいのか【前編】

2023.3.15

対談

なぜ国語はおもしろいのか
【前編】

森川正樹(関西学院初等部教諭)

土居正博(川崎市立はるひ野小学校教諭)

国語は楽しい? 難しい? 「ひろがれ国語2023年冬号」に掲載された話題の対談記事を、未収録部分も含めた「こくごスタジオ」バージョンでお届けします。インフルエンサーとして注目されるお二人が語る、国語教育の魅力とは? まずはボリュームたっぷりの前編からどうぞ!

――本日の対談テーマは「なぜ国語はおもしろいのか」です。実践家として国語教育を担っていらっしゃるお二人に、自由に語っていただきたいと思います。

森川 何時間でも語れるテーマですね(笑)。

土居 はい(笑)。


考える余地を楽しむ

森川 まず「物語」の話をすると、「物語」って「考える余地を残してくれている」ということがおもしろいのだと思うんです。僕たち教師にとってもそうだし、子どもにとってもそうだと思います。その点がおもしろさでもあり難しさでもあるのですが、「考える余地」があるからこそ、読みの違いがいろいろ出てきますよね。その多様な読みから、テキストというものを頼りにせめぎ合って寄せていく。この過程がおもしろい教科だと思います。

土居 国語授業そのものが、「考える余地」をかなり持っていますよね。そこが授業者にとってもおもしろい点だと思うのですが、うまく楽しめないと「国語は苦手だ」っていう風になってしまい、「結局、何を教えたらいいのかわからない」という悩みを抱えることになるんじゃないかと思います。

個人的には「物語」や「説明文」に限らず、子どもたちに合わせて、どう扱ってもいいのではないかと思っています。子どもたちの話し合いの展開や、興味を持ったところによって、いかようにもできますよね。

森川 そうですね。言うなれば、国語は「羽ばたける教科」だなと思います。ゴールに行くためにどうするかを考えるのが楽しいですね。でもそれは、やっぱりある程度帰着点が分かってないと難しいと思います。国語が苦手な先生からしたら、「いや、おもしろい・楽しいって言うけど、結局何を教えたらいいんですか?」ということになってしまいますよね。

例えば教科書の教材であれば、「その教材をどのようなねらいで掲載しているのか」ということが考えて作られています。それを山の頂上とするならば、目的地ははっきりしているけれども、そこに至るアプローチはいくつかあるということなんです。その選択肢が多いのが国語だと思うので、先生方が「じゃあ、この道でいってみようかな」「ちょっと険しいけどこっちのルートで挑戦してみよう」というように、いろいろな行き方を模索できることがおもしろいのだと思います。

土居 そうですね。例えば「説明文」で、「この段落の意味は何だろう?」と、指導事項に関わる点をダイレクトに聞くこともできると思うのですが、少し変化を付けて「この段落、なんだかあんまり関係なさそうだから、なくてもいいよね」と投げかけてもいいですよね。そうすると、子どもたちも「いやいや、ないのはだめじゃない?」となって、話し合いが盛り上がったりします。こういった工夫ひとつとっても、いろいろなアプローチがありますね。

森川 直接的に問わない、けれども、そのゴールに行くためにどうするかと考えるのが楽しいですよね。僕はたまに、「文章の構成」をA・B・Cの3種類の図解に分けて示したうえで、「この説明文は三つの中のどれに当たる?」といきなり聞くことがあります。このとき、全員の参加感を確保するために、答えではないと明らかに分かるCの選択肢を用意しておくことが重要です。そして判断に迷うようなA・Bを用意しておけば、「Aじゃないのかな?」「Bじゃないのかな?」と、子どもたちは引き込まれていきます。

すると、子どもから「先生、教科書見ていいですか?」と求めてくるようになるんです。そこで、「Aかな、どう?」と聞いて、相談したいという気持ちにさせてから「じゃあ、ペア対話をしてごらん」と伝えます。

僕たち教師は、ついいきなり「教科書を見て」とか「ペア対話をして」という指示をしてしまいがちですが、いかに子ども自身に思考させたり対話させたりするかが、工夫のしどころなんだと思います。

土居 私もゴールはしっかり踏まえたうえで「どういう工夫ができるかな」と考えていますね。それが「考える余地がある」ということだろうなと思います。もちろん、段落の関係や登場人物の心情の変化などの指導事項はあるのですが、これらは学習指導要領において、2学年のまとまりで示されていますし、教材を介して指導していくものになります。なので、「段落の役割は何でしょう」のように直接的に問いかけるのではなく、教材の特性を踏まえた工夫が必要になってくると思います。

森川 国語って、思っているよりもスパイラルな教科だっていうことをみなさんに理解してほしいなと思います。例えば登場人物の「人柄(人物像)を捉える」ということについても、3年のときの理解に比べると、6年では、人物どうしの関係も捉えたうえでの「人柄」が考えられるようになります。同じような観点の指導事項でも、学年とともに深まっていくわけですよね。

土居 結局、人物の人柄を捉えるというような「同じこと」を複数の学年でやるんですよね。最近はシンプルに大枠を捉えたうえで、教材の特性に合わせて子どもたちと授業を作っていくということを意識しています。

森川 本来、「何年生用の読み物」ってないじゃないですか。それを教科書では各学年に配列しているだけであって。1年生の教科書の教材を6年生に与えてみたいですね。

土居 高学年を担当していても、最初に1年生や2年生の教材で入っていく先生はいますよね。私も結構使います。「低学年の教材を上の学年で読むとしたら、どのように扱おう」という視点から考えてみるのは、指導力もつくと思います。「人物の変化に焦点を当てるには、どう展開していこうかな」と、付けたい力から教材を分析する視点を養うことができますね。

森川 6年間で身につけた引き出しがあると、同じ作品でも読み方は変わってきます。6年生に「1年生で出会ったこの物語を、今の自分ならどう読む?」と問いかけると、表現面から捉えたり、心情面から捉えたり、いろいろな読みが出てくるんじゃないかと思います。そういった成長を、子ども自身に実感させたいですよね。そのためには、6年生までにある程度「何を与えたいか」ということを、教師が分かっておかないといけないですね。「主題」が出てくるのがここ、「象徴概念」がここ、「伏線の回収」がここ、というように。

例えば僕は、1、2年生で主題を聞くときは、「『○○っていいなあ』を考えなさい」って言うんですよ。「おおきなかぶ」だと、子どもは「助け合うっていいなあ」と書くんです。それってもう、「主題」ですよね。土居先生は、主題を聞くとき、1、2年生にどのように問いかけていますか?

土居 「このお話から一番学んだことは何かな?」や、「これ知って良かったなって思うこと何かな?」というように「学んだこと」を聞いています。

森川 そうですよね。具体的な、現場の先生ならではの言葉で問いかけることがだいじですよね。

土居 子どもたちに合わせた言葉に翻訳していくということは、現場の先生にしかできないことですね。


素材研究としての教材研究

森川 国語の指導が難しいと思われる一つの要因に、教材研究と授業研究とが異なるということがあると思います。例えば新教材が来たときには教材研究に取り組むと思いますが、だからといって研究したことを全て授業で展開してしまっては、子どものキャパシティを超えてしまいます。学年の発達段階と、そのクラスのことを考えて焦点化することが必要ですよね。

土居 教材研究って言うと、ただ本文を読めばいいみたいな感じがあるんですけど、それは素材研究なんですよね。それと合わせて、森川先生がおっしゃってたような、どういう発問なり学習活動なりが適してるのか、それは目の前の子どもたちの実態に合っているのかという視点を分けて分析する必要がありますね。

おそらくですが、教えることが明確な教科に比べて、この素材研究が重要になってくるのが国語の特徴だと思います。子どもが何かいい発言をしたとしても、素材研究ができてないと、結局それを「どう拾ったらいいか分からない」ということになってしまいます。

森川 教師側にもキャパシティが必要ですよね。僕は、「出会いの感想文」と「まとめの感想文」を書かせているんです。「出会いの感想文」は、「初発の感想」とは少し違っていて、「これについて書きましょう」というような、いくつかの観点を与えるものです。まだ授業に入る前の段階で「自分の精いっぱいの力でテキストに出会いなさい」と伝え、一言あるいは1行で「○○物語」というふうに「どんな物語か」を書かせてみると、主題的なことを書く子と、全然違うことを書く子がいます。それが授業を進めるにあたっての事前調査となる。「授業の地図」が手に入るということなんです。

土居 おもしろいですね。

森川 そして、単元の最後には「まとめの感想文」を書かせますが、この「出会い」から「まとめ」への変化が、子どもたちのこの単元での成長として、目に見えるようになります。こういった活動をさせるときに重要なのが、素材研究としての教材研究なんですね。特に「出会いの感想文」を書かせたときには、子どもによっては急にすごい意見が飛んでくることがあります。そのような意見を受け止めて「授業の地図」を描いていくためには、素材研究・教材研究がしっかりとできていないといけないんです。

(後編に続きます!)

ほかの記事を読む

TOPへ