
2026.10.28
国語と文学を考える
シリーズ「国語と文学を考える」では、国語教育における文学作品の在り方について考えます。今回は、東京書籍『新編 新しい国語2』に掲載されている向田邦子の随筆「字のない葉書」を題材に、日本の近現代文学の研究者である京都教育大学の天野知幸(あまの ちさ)先生にお書きいただきました。
「国語での学習を生徒たちの生活や未来に活かしたい」「国語の学習を生徒たちが、自己や他者、社会を理解するために役立てたい」と考える方も多いでしょう。今回、そのヒントとなる視点を、中学校2年生の文学教材「字のない葉書」(向田邦子)を例に考えたいと思います。
ナラティブに関する理論は古くからありますが、近年、医療、心理学など、さまざまな領域であらためて注目されています。ナラティブは私たちの日常にとっても身近なもので、ある出来事や経験をどのように理解し、意味づけるかを考えるうえで欠かせない視点と言えます。具体的な例で考えてみましょう。たとえば教室で起きた一つの出来事も、教師の見方や意味づけと、生徒のそれらとでは、異なる場合があります。つまり、出来事そのものが一つであっても、その出来事についての「語り」は一つとは限りません。ナラティブに着目するとは、出来事だけを見るのではなく、「誰が、どのような視点から、どのように語っているのか」に目を向けることだと言えます。
文学も同じように考えることができます。「字のない葉書」は、「私」が子どもの頃に経験したことを大人になって語る形式の物語ですが、そこからわかるのは、大人になった「私」の認識のありようであり、その認識が捉えた出来事についてです。それゆえに、語られていないことがらも多くあります。たとえば父自身の心情の細部です。この物語ではそこが空白部分として残されています。ただ、この空白は物語の魅力の形成にも効果的に働いていて、他者が簡単には推し量ることができない、いや、もしかしたら父自身も抑圧していたかもしれない、内面の存在を読者に感じさせ、物語に深みを与えています。
もし同じ出来事が父の視点から語られたら、どのような物語が生まれるでしょうか。大人になった妹の視点から、母の視点から語られたら……。当然、違う物語が生まれるでしょう。物語の可能性は無数に広がります。視点によって出来事の意味づけが異なるということは、私たちが常日頃感じていることではありますが、それを意識することで、一つのものの見方にとらわれたり、自己や他者への理解を狭めたりすることを避けることができるようになるかもしれません。物語の理解の方法を知ることは、私たちの思考をより自由なものへとする契機となる。そのような可能性を秘めています。
さて、この物語では、威圧的な父が手紙の中だけで見せる姿や、妹の帰宅の際に涙を流した父の姿を通して、「私」がそれまで気づいていなかった父の愛情(内面)が描かれます。とりわけ父の涙は「私」自身の父親像や男性像が揺さぶられる出来事であり、驚きを伴って語られています。父親や男性は人前で泣くものではないという固定観念が「私」にあったことがわかりますが、それは「私」一人のものではなく、当時の社会に広く根付いていた規範とも言えるものでしょう。この物語のベースには、こうしたジェンダー規範や父と娘に象徴されるようなジェンダー間の権力関係、家父長的な家族のあり方があります。それらは単なる登場人物の性格の問題に起因するものではないという点が重要です。(木村季美子「中学校国語科の文学教材におけるジェンダー再生産構造を読み解く指導:向田邦子「字のない葉書」を用いて」https://www.jstage.jst.go.jp/article/sor/63/1/63_40/_article/-char/ja/ がジェンダーの観点から鋭く論じていて、たいへん参考になります。)
物語に描かれたジェンダー規範や家父長制が、どのような歴史的・社会的背景のもとで作られたのかを考えることは探究的で重要な学びですが、同時に、物語を鏡として、現代の私たち自身の中にあるジェンダーや家族に関する固定観念――無意識のうちに抱いている「男らしさ」「女らしさ」――に気づくこともできます。それは、「当たり前」「普通」「常識」を問い直し、相対化する契機となりえますし、多様な価値観を持つ他者を尊重し、自分自身も自由に自己のあり方や生き方を選択することを可能にするものです。
ここまで物語理解の方法について触れてきましたが、文学との出会いが私たちの生を超えるものである点に最後に注目したいと思います。私たちの生は一回性のものです。生まれていない時代を生きることはできませんし、他者の立場に立つことも実際は容易ではありません。個の内面を描くのが得意な文学というメディアは、そうした私たち読者に別の生き方や心のありようを上手に垣間見せてくれます。物語を通した他者との出会いは、これまで述べてきたように、自己や他者、社会を別の視点から捉え直す営みへと私たちを誘い、新たなナラティブや世界認識をもたらしてくれます。また、文学は時に私たちの認識を大きく超えたものに出会わせます。心地よい出会いばかりではないかもしれません。しかし、そうした場合にこそ、私たちの認識や価値観、感性を拡張させる可能性が秘められているとも言えます。
天野知幸(あまの・ちさ)
京都教育大学教授。専門は日本近現代文学。戦後文学と当時の言論環境についての研究を中心に、ジェンダーや身体などの観点から日本文学の捉え直しを行っている。著書(分担執筆)に、『日本文学の見取り図 宮崎駿から古事記まで』(ミネルヴァ書房)、『敗戦と占領 戦後日本を読みかえる1』(臨川書房)など。