
2026.10.14
古典に親しむ
知れば知るほど、古典はおもしろい。そんな古典の魅力や意義を生徒に実感してもらうために、授業設計にあたってどんなことを意識するとよいのでしょうか。今回は『竹取物語』を題材に、奈良教育大学附属中学校の篠原嶺(しのはら りょう)先生による指導ポイントとアイディアを取り上げます。
授業後、生徒同士で「なぜ古典を勉強しなければならないのか」「古典なんて勉強しても意味がない」と盛り上がっている様子を目にしました。教師になって日が浅かった私は、それを直視することができず、そそくさと背中を丸めて教室を出ていきました。この出来事から何年か経ちました。この場を借りて、改めて生徒の声と向き合ってみたいと思います。
現代語でコミュニケーションをとる私たちにとって、古典はある種の外国語です。一読して、概要をつかむどころか、靄がかかったように分からないときがあります。また、途中まではすらすらと読めて内容が理解できていたのに、急に落とし穴に落ちたかのように分からないところが分からない状態にもなります。このような「手強さ」や「やっかいさ」を有しているにもかかわらず、日常生活や社会生活で古典に多く触れるわけでもありません。これらを踏まえると、「なぜ古典を勉強しなければならないのか」「古典なんて勉強しても意味がない」という生徒の声に少し納得してしまいそうな私がいます。
古典を学ぶ意義、古典を読む楽しさや面白さとは、どこにあるのでしょうか。今の私なら「現代を生きる私たちの生活や文化、ものの見方や考え方を相対化できる」と生徒へ返したいです。私の考えが唯一の真理だとは思っていません。むしろ、これからまた私自身の中で変容するかもしれないとさえ思っています。大切なのは、個々の生徒が自分なりに古典を学ぶ意義・古典を読む楽しさや面白さを形成することだと考えています。そのため、古典教育(言語文化教育)に関する授業を設計する際には【生徒の疑問を大切にする】【手段として現代語訳に取り組む】【古典を学ぶ意義や価値を考える機会を設ける】の三つを心がけています。
『新編 新しい国語 1』(東京書籍)では『竹取物語』の古文と現代語訳を織り交ぜて、作品の概観がつかめるよう工夫されています。作品を概観できる学習材ならば、【生徒の疑問を大切にする】【手段として現代語訳に取り組む】【古典を学ぶ意義や価値を考える機会を設ける】ことも非常に組み込みやすいです。
古典といえば音読です。古文と現代語訳の両方を生徒とともに音読し、作品の概観をつかみます。もし、時間が許すならば何度か音読した後に、黙読もさせたいところです。ページを行き来しながら自分のペースで、考えながら読めるからです。その後、問い(疑問に感じたところ/納得できなかったところ)をノートに記します。ICT環境が整っているならばMicrosoft ExcelやGoogleスプレッドシートに記入させるとよいでしょう。生徒一人一人の疑問に感じたところや納得できなかったところを全員が一覧することができるからです。同じ本文を読んでいるのに、それぞれ引っかかる箇所が違う。この事実そのものが、生徒の知的好奇心をくすぐります。
生徒の実態によって、様々な次元の問いがでてきます。「なぜ『うつくしうてゐたり』が『かわいらしい様子で座っている』という訳になるのか」といった古語に着目した問い、「なぜ、幼いかぐや姫を籠に入れて養ったのか」といった人物の行動に着目した問い、「なぜ、作者は五人の貴公子の後に帝を登場させたのか」といった物語の構成に関する問い、「天人とかぐや姫で、どちらの方が身分は高いのか」といった人物の関係性に着目した問いなどを書き表してくれます。自分が立てた問いを古語辞典や国語便覧、あるいは様々な出版社から出ている現代語訳付きの『竹取物語』を繰りながら解決していきます。その際、三人一班または四人一班で活動し、いつでも生徒同士で相談できる環境を整えておくことが大切です。教師は生徒の学びの進捗状況を確認し、躓いている生徒に個別支援を行ったり、関連する問いを探究している生徒同士をつなげたり、早々に問いを解決し終えた生徒には発展的な問いへ導く声掛けを行ったりします。
上記の学習を通してノートには、①自分が立てた問い、②問いを解決するために調べて分かったこと、③問いに対する納得解、④新たな問いが記されています。ある生徒は、「なぜ、天人は『遅し』といったのか」という問いを立てました。古語辞典や便覧をたどるうちに、羽衣を着ると人間の心情が失われるという設定が書かれているところに注目し、別離を惜しむかぐや姫と、早く連れ帰りたい天人という二つの価値観の対立の場面として読み直しました。そこから新たな問いとして「当時の人は月にどのようなイメージを持っていたのか」と書いていました。おそらく、月に住む天人という設定そのものの背景に関心が向いたのでしょう。このような各人各様の学習過程が生まれます。これらをMicrosoft ExcelやGoogleスプレッドシートに入力させ、生徒同士で交流し、自分の学習過程を相対化します。もし、時間に余裕があるならば交流を通して、「なるほど!」「面白い!」と思った友達の学習過程を発表するとよいでしょう。自分たちの学習過程を振り返った後に、古典を学ぶ意義や価値をノートに記し、生徒同士で再び交流します。
小学校で『枕草子』『平家物語』『徒然草』、あるいは能や落語といった言語文化にふれてきた児童が中学校に入学します。中学校での3年間の学習を経て、探究的な読みが求められる高等学校へ進学します。これらを踏まえると、中学校の古典教育(言語文化教育)が担う役割は小学校から高等学校への「橋渡し」だと、私は考えています。具体的には【音読を通して親しむこと】から【時代背景や当時の文化を踏まえて、作品を立体的に理解すること】への接続です。親しむこと・深く理解すること、この二つを大切にした授業を追い求めていきたいです。
【参考】
『古典教育をオーバーホールする―国語教育史研究と教材研究の視点から』菊野雅之(文学通信、2022年)
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