
2026.9.16
ことばを考える
「ことば」の在り方を見つめ直すシリーズ「ことばを考える」。今回は、さまざまな国や地域で使われている「漢字」をテーマに、漢字を研究されている竹澤雅文(たけざわ まさふみ)先生にお書きいただきました。
漢字は現在中国や日本、韓国でも少数、およそ15億人の間で使われています。20世紀までは今の北朝鮮やベトナムでも漢字が使われていました。漢字は必要に応じて作られ、現在までその総数は増え続けています。2026年に発売された漢字字典『字海』(冷玉龍主編)には33万もの漢字が収録されているそうです。
さて次の①~⑩までの漢字は各地で作られ実用されたその地域独自の漢字です(本稿では国字や造字の場合もその広義的な名称である「漢字」とします)。いずれもよく使われる漢字ではありませんが、漢字表記がないその土地の方言や新語を書くためであったり、意味伝達が簡明であったり、書きやすかったりなどの理由で数百年にわたってその土地の字典や地名、地域の文書などを通して人々の間に伝わっています。それぞれどんな意味をもつ漢字でしょうか。
① 「𱎠」は、井の中に人が入っています。つまり「見えない」という意味です。『楡林府志』に見られる地域独特の漢字で、この他には木に入る金属だから「楅」(釘)、「冇」(無い)などの漢字が現在の陝西省楡林市周辺で使用されていたと書かれています。
② 「𱰗」は、生と死の両方がくっついて「もがく」という意味です。湖南省常徳市にある村の名前に使用される漢字で、かつてこの村は経済情勢が切迫し、生死のはざまで苦しみもがいたことからこの漢字で書き表したそうです。
③ 「吅」は四川省成都市で「キスをする」という意味で使われます。日本では泉鏡花が「呂」の字を「くち」と読んでくちづけの意味で小説『薄紅梅』の中で使いました。まったくの偶然だと思いますが、どちらも口を2つと見立ててその意味を表しています。
④ 「𠆣」は「担ぐ」の意味です。人の上に書かれている「一」は荷物を表しているといわれています。チワン族の一部がチワン語を書き表すために作った独自の漢字です。これらの漢字を集めた『古壮字大字典』には「旉」(肩に担がれた荷物)や「楂」(蝶)などのように絵文字のようなものすら存在すると報告されていますが、こういった文字がこの地域の文献に出るのは極めてまれでした。チワン族の書き手の間では人によってさまざまな字を当てていたために、一度きりしか使われない漢字も多数あるのだと推測されています。
⑤ 「𪫚」(phép)は「法(律)」や「規則」の意味です。ベトナムで使われた漢字です。そのまま「法律」を合体させた見た目ですが、ベトナム語のphépは漢語の「法」に由来する言葉で、「法」が発音を表す部分、「律」が意味を表す部分でできた形声文字となっています。ベトナムでは漢字は廃止されましたが、現在も儀式的な場面などで使われる機会があるようです。
⑥ 「闏」は門の中から風が吹いている。つまり「すきま風」を意味する朝鮮半島独自の漢字です。朝鮮半島では他に「㫈」(於(어)と〇を合わせ엉と読む)や近現代に韓国で使用例がある「妺」(図の異体字)のようなハングルを混ぜた漢字があるのも特筆すべき点です。
⑦ 「𪞵」は雪に風が合体して「ふぶき」と読む日本独自の漢字、すなわち国字です。室町時代から連歌で使用され、江戸時代には特に秋田藩で使用された国字でした。連歌や俳諧など歌詠みの人々の間では室町時代から江戸時代にかけて「凩」(こがらし)や「凪」(なぎ)、「守」(しけ・しぶき)など「風」の漢字をモデルとした国字が生み出されました。常用漢字2,136字の中にも国字はありますが、わずか10字程度(研究者によって数え方が異なる)しかありません。そのうち「腺」は1805年ごろに宇田川玄真がオランダ語の翻訳の過程で生み出した国字で、20世紀までに日本から中国、韓国、ベトナムなど漢字圏全域に広まった珍しい例です。
⑧ 「𠀊」は大と小2つの文字が半分ずつ書かれています。人や動物の体格が中くらいであることを意味する浙江省寧波市や紹興市などで使用例のある漢字です。大きくも小さくもない様子を見事に表しています。
⑨ 「倩」はズバリ「おならの音」を表す台湾の漢字です。もともと漢字表記がなかった台湾語(台湾閩南語)を書き表すために今昔いろいろな漢字が考案されており、台湾の作家である楊青矗は150以上の漢字を作りました。その一部は現在も台湾で使用されています。台湾の字典である『台湾彙音字典』の中では「𪠿」(竹の音)、「𫫯」(猫の鳴き声)など独特な漢字が紹介されています。
⑩ 「奏」は「身」によく似ていますが角が取れています。鉛筆やクレヨンなどがすり減って短くなった様子を表した潮州語独自の漢字です。「半」の字を途中まで「柱」と書いても「奏」と同じ意味になります。その様子を文字の中にうまく表していると思いませんか。
世界中で使用される文字は、社会的に約束された字形に従って書かれ、意思疎通をする道具です。しかし特に漢字の場合は創作性が強く、このようにその土地の言葉や文化に合わせて自由に創作される側面も兼ね備えています。地域で使われた漢字まで掘り下げてみると、さまざまなアイディアから生まれていることが分かります。地域ごとにそれぞれの漢字文化や歴史があり、それぞれの漢字の起源や誕生の背景を求める歴史研究が進められています。
【参考文献】
『国字の位相と展開』笹原宏之(三省堂、2007年)
『日本の漢字』笹原宏之(岩波書店、2006年)
『方言漢字事典』笹原宏之(研究社、2023年)
『医学をめぐる漢字の不思議』西嶋佑太郎(大修館書店、2022年)
「其实地名生僻字也可以很好玩」王謝楊(知乎、2017年、https://zhuanlan.zhihu.com/p/31805264、2026年9月7日参照)
『韓国漢字字典』檀国大学校東洋学研究院編(檀国大学校出版部、2023年)
『漢字系文字の世界:字体と造字法』日本漢字学会編(花鳥社、2022年)
『辞典には載っていない 絶滅漢字図鑑』竹澤雅文(KADOKAWA、2026年)
『楡林府志』李熙齢 等(道光21年刻本、1841年)
『漢語方言大詞典』許宝華・宮田一郎(中華書局、1999年)
『台湾彙音字典』謝達鈿(自費出版、2002年)
『台語漢字与詞彙研究論文集』姚栄松(万巻楼図書股份有限公司、2021年)
『古壮字大字典』蒙元耀・韋如柱 等(広西民族出版社、2024年)
『越諺』范寅(谷応山房、1882年)
『新潮汕字典(普通話潮州話対照)』張暁山(第2版、広東人民出版社、2015年)
『《潮語十五音》整理及研究』馬重奇・陳偉達(中国社会科学出版社、2022年)
『越喃漢英四文対照新辞典』鄧応烈・何華珍(上海交通大学出版社、2023年)
『方塊壮字研究』覃暁航(民族出版社、2010年)
『鏡花全集 巻の二十四』泉鏡花(岩波書店、1940年、国立国会図書館デジタルコレクション、https://dl.ndl.go.jp/pid/1883703/1/226?keyword=%E5%91%82、2026年9月7日参照)
竹澤雅文(たけざわ・まさふみ)
1997年、栃木県生まれ。個人で漢字字典を編集している。著書に『辞典には載っていない 絶滅漢字図鑑』(KADOKAWA)がある。