
2026.6.10
ことばを考える
シリーズ「ことばを考える」では、さまざまな背景を持つ人々との関わりが増える現代において、改めて「ことば」の在り方を見つめ直します。今回は、「話し言葉と書き言葉」をテーマに、言語学がご専門である神戸市外国語大学の岩男考哲(いわおたかのり)先生にお書きいただきました。
本稿のテーマは「話し言葉と書き言葉」です。そこでまずは、この2つの言葉の一般的な理解を、教科書の定義を頼りに確認してみましょう。
(1) 音声を使って伝える言葉を話し言葉といい、文字を使って伝える言葉を書き言葉という。
(東京書籍『新編 新しい国語2』「日本語探検3 話し言葉と書き言葉」)
これに異を唱える方はおそらくいないでしょう。しかし、この定義から多くの示唆が得られることに気付いている人は多くないかもしれません。そこで本稿ではこの定義を出発点にして話し言葉と書き言葉の理解を深めるとともに、話し言葉と書き言葉では「発信者(話し手・書き手)」と「受信者(聞き手・読み手)」の役割が大きく異なることを確認したいと思います。
なお、語彙に目を向けると、話し言葉・書き言葉特有の表現が簡単に見つかります(例「っていうか(話し言葉)」「である(書き言葉)」等)。しかし、今回は語彙以外の側面に注目します。
(1)の定義から話し言葉とは音声言語のことだと分かりますので、その主な特徴を挙げてみます。
すぐに産出できる/すぐに相手に届く/すぐに消える
すぐに相手に届いて、すぐに消えてしまうという特徴から、話し言葉は目の前の相手に話しかける「対話」に適していると言うことが出来ます。そこで、対話を対象に話し言葉を深掘りしてみましょう。なお、対話の伝達手段として「手話」も考えられますが、今回は触れる余裕がありません。ご了承ください。
以下に対話の例を挙げます。
(2) 三野:次の練習試合の日程を聞こうと思ったら誰もいなくてさ。
板垣:どこに? サッカー部の部室?
三野:うん。だから結局、そのままバイトに行ったんだよ。
板垣:バイトって、何やってるんだっけ?
この話し手・聞き手の役割について考えることで、話し言葉の理解を深めましょう。「板垣」の発言を見てください。「三野」の発言の不十分な個所の確認を行っていますね。このように、対話とは相互のやり取りで作り上げていくものだと言うことができます。つまり、聞き手も話し手に劣らず積極的に会話に参加しているのです。これは重要なポイントです。従来、言葉遣いについて考える際、産出する側(話し手・書き手)の責任に焦点があてられることがほとんどでした。昨今ブームになっている「言語化」はその最たるものだと言えるでしょう。発信者がいかに効果的に言葉を発するかに注目が集まっているわけですね。
しかし上記からも分かるように、対話では聞き手も重要な役割を持っています。特に日本語の対話では英語に比べ、聞き手の役割が大きいと言われています。対話の最中に行う聞き手の「相槌」を例にとっても、英語に比べ日本語の方が回数が数倍多いという報告もあるほどです。試しに誰かと話をする際に、一度も相槌を打たずにじっと話を聞いてみてください。きっと相手はすぐに不安になるはずです。このように、話し言葉、つまり対話とは話し手だけでなく聞き手にも積極的な参加が求められるものなのです。
今後話し言葉では、情報を受ける側、特に対話における聞き手の役割の重要性に焦点を当てることがより重要になっていくと予想されます。具体的には、近い将来、日本でも日本語を母語としない人との会話の機会が増えていくと思いますが(既にそうなっていると言っても良いです)、そんな時に日本語を母語としない人に日本語で過不足なく表現することを求めるのは適切とはいえません。情報の不足を補い合う等、相互の支え合いが重要になります。それに備えて、対話は話し手が一人で責任を負うものではなく、話し手と聞き手の両方で補い合いながら作り上げる行為なのだという意識を持つことがより大切になってくるのです。
続いて(1)の定義に基づきながら、書き言葉の主な特徴を挙げます。
産出に時間がかかる/時空間を超えて伝達可能/情報が残りやすい
こうした特徴から、書き言葉は新聞、書物等、(「対話」とは反対の意味で)「独話」に適していると言うことが出来ます。具体例を見てみましょう。
(3) 次の練習試合の日程が分からなかったので、確認のためにサッカー部の部室に行ったのだが、部員は誰もいなかった。そこで、その日は日程の確認は諦めてアルバイト先の塾に向かった。
書き言葉では、まず受信者(読み手)の役割が話し言葉とは異なります。対話では聞き手がリアルタイムで会話の構築に関与しますが、独話ではそうはいきません。そして書き手はその場にいない読み手を自分で想定して書かなければなりません。その想定と現実のギャップが大きいほど、意味が通りにくい文章となってしまいます。
また、書き言葉の特徴として、「時空間を超えて伝達可能」「情報が残りやすい」という点があります。書き言葉は一度書いてしまうと、消さない限りは残り続けます(=情報が残りやすい)。よって、その時・その場にいない人にも伝わるのです(=時空間を超えて伝達可能)。その時・その場にいない相手に読まれる可能性があるということは、サポートがなくても過不足なく伝わる文を書かなければなりません。その点で書き言葉は、話し手がリアルタイムで情報を補える話し言葉とは違い、情報量の多い複雑な表現になりがちなのです。(2)の「三野」の発言と(3)を比較するとそのことが分かるのではないかと思います。
ただし、却って複雑過ぎる表現を生んでしまわないよう注意が必要です。構造の複雑さは、その文の理解のしにくさに直結します。数学の文章問題では、数学の力の他に問題文の複雑さも成績に影響し得ることが知られています。また、日本語を母語としない人への説明書き等は複文よりも単文を用いることが推奨されています。文学作品において複雑な表現を味わうようなケースは別として、文章で情報を伝えなければならない場合、文が複雑になりすぎてはいないか、もっとシンプルな構造の文に解体出来るのではないか等、想定される読み手の力に応じて調整出来るようになるのは大事なことだと言えます。そうした配慮が書き言葉ではより強く求められるのです。
以上、話し言葉と書き言葉の例として対話と独話を見てきましたが、例外的な現象も存在します。例えば「講演」。これは音声言語ではありますが、新聞等のように独話的な表現が用いられますね。一方で「日記」はどうでしょうか。文字言語ですが省略も頻繁に起こる、「対話」に近い表現が用いられると思います。
なぜ「講演」が音声言語でありながら独話的な表現となるのか、なぜ「日記」が文字言語でありながら対話的な表現になるのか、本稿のこれまでの説明をもとに考えてみてください。
また、本稿では、話し言葉と書き言葉に焦点をあててきましたが、現在第三の言葉として「打ち言葉」というものも存在します。キーボード等で打ち込む言葉のことです。この言葉も一様ではなく、例えばLINEとブログでは、文の構造が前者は話し言葉に近く、後者は書き言葉に近くなりがちです。本稿の内容を参考に、様々な打ち言葉の特徴とそうなる理由を考えてみるのも良いでしょう。
岩男考哲(いわお・たかのり)
1976年生まれ。神戸市外国語大学教授。専門は日本語学(と珈琲)。著書に『言語学 まずはここから』(くろしお出版)、『フランス語の発想-日本語の発想との比較を通して』(共著・くろしお出版)、『引用形式を含む文の諸相-叙述類型論に基づきながら』(くろしお出版)など。