みんなの読み物(創作) クマの祈り

2026.5.13

みんなの読み物(創作)

クマの祈り

小川糸(作家)

今回の「みんなの読み物」は、作家の小川糸さんによる物語です。『食堂かたつむり』『ツバキ文具店』などで知られる小川さんの短編をお楽しみください。

 ここは、静かで美しい森の中。クマ一家は、代々この、みんなの森に暮らしています。巣穴に暮らすのは、お母さんグマと、まだ幼い三匹の子グマたち。
 その日、クマ一家は、冬籠もりの準備に追われていました。そろそろ、冬眠に入らなくてはいけません。すると、巣穴の外で、バサッと大きな音がします。母グマが見に行くと、なんと、落ち葉の上に、一匹のりっぱなシャケが横たわっているではありませんか。まるで、生きたシャケが、そのまま天から舞い降りてきたようです。
「まぁ!」母グマは、驚きの声を上げました。両手でだいじにシャケを抱え、巣穴の中に運びます。すぐに子グマたちが寄ってきて、興味津々にシャケを囲みました。
 実は、クマ一家は、まだおなかがいっぱいになっていませんでした。今年はドングリが不作だったのです。満腹じゃないと、眠ることができません。それで、母グマは少々不安でした。
 この目の前のシャケを食べれば、子グマたちを満腹にすることができます。母グマは、さっそく料理にとりかかりました。
 母グマは、三匹の子グマたちがそれぞれリクエストした、三種類の料理を作り終えると、最後まで残っていた頭と尾と骨を使い、スープを作りました。せっかく与えてもらったかけがえのない命を、残さず無駄なくいただくのが、最低限のマナーというわけです。
「ごはんですよ!」母グマが、子グマたちを呼び寄せます。大きな葉っぱのお皿には、それぞれ、クリームコロッケとシャケサンドとおにぎりがのっています。三匹は、ごちそうに目を輝かせました。自分の席に着き、丸太のテーブルを囲みます。
 母グマは、厳かな声で言いました。
「シャケさん、私たちに命を恵んでくれて、本当にありがとうございます。私たちは、あなたと、あなたのご両親、そしてご先祖様の全てに心から感謝して、大切にこの命をいただきます。」
 子グマたちも目を閉じ、胸の前で両腕をクロスさせ、心の中でいっしょにお祈りを捧げました。それから、冬眠前の最後の食事を食べ始めます。子グマたちにとっては、初めての冬眠です。
「あーあ、僕、初雪が降るの見たかったのに。」残念そうにつぶやいたのは、フゥ君でした。「私、凍った湖でスケートがしたいなぁ。」「私は、降ったばかりのふわっふわの雪に、ハチミツをたっぷりかけて食べてみたぁい。」ヒィちゃんとミィちゃんも、続きます。三匹の子グマたちは、まだ見ぬ雪を想像し、あれこれ好き勝手に妄想しました。でも、クマは冬眠しなくてはいけない生き物なのです。母グマは、クマ一家に代々伝わる大切な教えを、子グマたちに伝えます。
「いいですか、どんなことがあっても、絶対に外に出てはいけません。人里に近づいたり、ましてや人前に姿を現すなど、もってのほかです。私たちがこのおきてをしっかりと守ることで、クマも人もお互いが平和に生きられるのです。」
 親の役割は、子どもが将来、ひとりでも生きていける力や術を身につけさせること。それは、人もクマもいっしょです。そのためには、時に厳しく、子グマたちに、やっていいことと悪いことを教える必要がありました。
 見ると、どの葉っぱのお皿も空っぽです。スープの入っていた木のボウルには、小骨一本残っていません。シャケの生命が、全て、クマたちの体に引き継がれたのです。
「ごちそうさまでした!」クマ一家は、声をそろえて言いました。母グマが、三匹の子グマの口の中に、一粒ずつ、デザートのハチミツキャンディを入れてやります。
「さぁ、春までぐっすり眠りますよ。春が来たらまた外に出て、お日様の光をたっぷり浴びて、みんなで思いっきり遊びましょう! それまで、楽しい夢を。」
 母グマも、葉っぱや木の枝で作った柔らかなベッドに横たわります。それから、目を閉じて、最後の祈りをささげました。
「どうか、目覚めたとき、すてきな春が訪れていますように。みんなの森が、豊かで美しいまま、これから先も、ずっとずっと続いていきますように。
 すべての生きとしいけるものたちが、幸せでありますように。」
 こうして、おなかがいっぱいになったクマ一家は、冬の間の長い眠りに就いたのでした。

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小川糸(おがわ・いと)

1973年、山形県生まれ。
デビュー作 『食堂かたつむり』(ポプラ社 2008年)は2011年にイタリアのバンカレッラ賞、2013年にフランスのウジェニー・ブラジエ小説賞を受賞。
海外出版も多数。
『ツバキ文具店』(幻冬舎 2016年)、『キラキラ共和国』(幻冬舎 2017年)、『ライオンのおやつ』(ポプラ社 2019年)は、「本屋大賞」候補に選出される。

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