みんなの読み物(エッセー) 熱っぽかったら科学する

2026.3.25

みんなの読み物(エッセー)

熱っぽかったら科学する

植原亮(東京大学准教授)

今回の「みんなの読み物」は、科学哲学などがご専門の植原亮先生にエッセーをご執筆いただきました。「熱っぽい」とき、皆さんはどんな行動をとりますか?

「うう、どうも熱っぽい。これだと今日は学校に行けないかもしれない……。」
こういうとき、たいていの人が直ちに科学をし始める。そんなことを言うと驚くかもしれないけれども、これは本当の話だ。ただし、科学といっても、ここでいう科学は、考え方としての科学のことを指している。そういう意味での科学は、実はとてもありふれた活動なんだ。ふだんの生活にあまりにも密着しているせいで、自分が科学をしていることにほとんどの人が気がつかないほどだ。

熱っぽいと思ったら、最初に何をするだろう? まずは額に手を当ててみるのではないか。やっぱりいつもより熱く感じたとか、思ったよりも冷たかったとか、いろいろな結果が出るだろうが、実はそこでは科学の重要な第一歩が踏み出されている。熱があるという「仮説」を立てて、その仮説が正しいかどうかを確かめようとする、というのがその第一歩だ。熱っぽいからといって、本当に熱があるかどうかはまだ分からない。だから、「熱がある」というのはまだ仮の考え、つまり「仮説」にすぎない。

そこで、額に手を当ててみる。そのとき実際に額が熱く感じたら、この仮説は正しいという見込みが高いし、もし反対に額が冷たかったら間違っていそうだと分かる。だいじなのは、熱っぽくても熱があるとは決めつけずに、いったんはその考えを仮説と見なして、それが正しいかどうかを確かめようとしている点だ。思い込みや勘違いを避けるために、自分の考えを裏付けてくれるような「証拠」があるかどうかを調べるのが重要だ、と言い換えてもよい。このように、証拠を大切にする、という考え方も科学の大きな特徴だ。

もちろん、額に手を当ててみて熱かったとしても、熱があるという仮説の正しさが十分に示されたわけではない。それはとても弱い証拠でしかないからだ。手を当ててみて「額が熱かった」というのは、ただ単にそういう感じがしただけで、本当は平熱だったという可能性も残っている。手のほうがいつもよりも冷たくて、そのせいで額が熱く感じたのかもしれないし、家族が額に触れたら「そんなに熱くないよ。」と言われてしまうかもしれない。このように、熱さの感覚だけだと証拠としては頼りないので、学校を休むかどうかの決め手にはならない。

それでは、感覚だけに頼らずに仮説の正しさを確かめるにはどうすればよいか? 額に手を当てて熱かったら、次にするのは体温計で熱を測ってみることだろう。体温計で測ってみて38.7度だったら、本当に熱があったからこそ熱っぽかったのだし、額も熱く感じたと分かる。この数字は、体温計が故障しているのでない限り、仮説を裏付けてくれるとても強力な証拠になる。もちろん、もしも体温計が36.5度を示していたら、確かに最初は熱っぽかったし、額も熱く感じたけれども、実際には平熱だった、ということが明らかになる。体温計の数字は、仮説が間違っていることの証拠としても非常に頼りになるのだ。科学では証拠を大切にすると先に述べたけれども、なるべく強い証拠を探す、というのも科学では欠かせない考え方の一つだ。

最後に、体温計がどんな数字を示しているにしても、その数字を家族にも見せるはずだ。体温がどのくらいなのかが数字で示されていれば、感覚に基づく思い込みや勘違いが防げることに加えて、仮説が正しいかどうかを自分だけでなくほかの人も確認することができるようになる。このように、きちんとした証拠の有無を「みんな」で確かめられるようになる、というのが数字を使うことの大きな理由になっていることが分かる。

そしてここにも科学のだいじな考え方がある。新しく分かったこと、確かめられたことをほかの人とも分かち合って、そこからさらに先に進もうとすることだ。熱が38.7度あることを家族も確かめられれば、学校に欠席の連絡をしたり、病院に行ってインフルエンザかどうかを調べてもらったりすることにつながる。科学者も、自分が研究したことや発見したことを発表してほかの科学者たちも確かめられるようにするけれども、それはみんなの発見を積み重ねることが、新しい研究のための土台になるからなんだ。

こんなぐあいに、たいていの人は、自分でも気づいていないけれども、熱っぽかったら科学する。自分の考えを正しいと決めつけずに、まずはそれをいったん仮説と見なして、本当に正しいかどうかを確かめようとする。思い込みや勘違いを避けるために、証拠を大切にする。できれば感覚だけに頼らないように、ほかの人にも確かめられる強い証拠を探して分かち合う。そうして、そこから次に進めるようにする。こういう考え方に沿って物事に取り組むとき、その人はもう、りっぱに科学しているのである。

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植原亮(うえはら・りょう)

1978年、埼玉県生まれ。専門は科学哲学、分析哲学など。著書に『セルフコントロールの教室』(大和書房 2026年)、『科学的思考入門』(講談社 2025年)、『遅考術』(ダイヤモンド社 2022年)など。

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