
2026.2.25
みんなの読み物(エッセー)
今回の「みんなの読み物」は、京都工芸繊維大学助教の東島沙弥佳先生にエッセーをご執筆いただきました。本来、人間にはない「しっぽ」という存在を通して、「ひと」のなりたちを明らかにする研究を行っています。学問の分野にとらわれず、しっぽの研究を深めていく先生の姿勢は、これから進路を考えていく中学生の皆さんにとって、自分の世界を広げるための大きなヒントになるかもしれません。
皆さん、こんにちは。私は、しっぽの研究者です。
きっとこう言うと皆さんの中には、「なんでしっぽなんて研究しているの?」と思う方もいるでしょう。そんな方のために、自己紹介がてら少しだけ、私の研究(Shippology)を紹介させてください。
私は「しっぽ」というひとつの研究対象を、さまざまな角度から見てみることで、私たちが一体どのように今の「ひと」になったのかを知ろうとしています。
たとえば、生物としての人間にはしっぽがありませんね。それは、長い進化の歴史の中で、あるいはお母さんのおなかから生まれてくる前に、私たちがしっぽをなくしてしまったからです。ですから、しっぽの生物学的な面に着目すれば、私たちがどのように生物学的な人間(ヒト、Homo sapiens)になったのかを明らかにすることができるかもしれません。
一方で、生き物としてはしっぽを持たない人間ですが、人間の作り出してきた文化的な表現の中には、古代の神話や民話から現在の漫画やコスプレに至るまで古今東西さまざまなしっぽが登場します。自分には生えていないしっぽに、過去の人たちはどういう意味を込めて表現してきたのでしょう。そういった見方で文化表現を調べてみると、生物学的には形に残ることのない認知、つまり過去の人々が自分の周辺にある人や動物、環境についてどう考えていたかなどがわかるのではないかとも思います。
このように、たったひとつの「しっぽ」という対象であっても、こちらの見方を変えることで私たちにさまざまな異なることを教えてくれるのです。世の中には研究の分野を表す言葉がたくさんあります。生き物を調べる生物学、歴史を調べる歴史学、星々のことを知るための天文学。色々な名前がそれこそ星の数ほどあるのですが、私のやっているような研究はそのどれにもうまく当てはまりません。だって先ほど書いた通り、私は「しっぽ」に関することであれば生物学的な内容も人文、認知に関わるようなことも全部知りたいのです。それが我々「ひと」への道のりを知るための鍵だと信じているからです。そこで私は、しっぽに関するこの幅広い自身のとりくみを「しっぽ学(Shippology)」と名付けることにしました。そう、私はいわば、しっぽのなんでも屋さんです。
さて、これ以上のくわしい研究の話は一旦ここまでにしておきましょう。もしも興味のある方は、私の本をぜひご覧ください。お近くの図書館などに置いていただいているかもしれません。
私は今のところ十年ほど、しっぽと共に人生を歩んできました。ときどき中高生くらいの皆さんに講義をする機会もあり、おもしろい質問をいただくことが多々あります。中には自分で考えたこともないような質問もありました。そんな内のひとつが、「しっぽの研究をしていて、楽しいこと、よかったことはなんですか?」という質問です。しっぽについて考えるのが当たり前になってきていた自分には、とてもありがたい問いかけでした。
改めて考えてみると、この十年でしっぽは私にとってかけがえのない存在になっていました。飯の種という意味だけではありません。私の世界は、しっぽを知ることで格段に広がったと確信しています。
なぜ生物学的なヒトはしっぽをなくしたのだろうと思わなければ私は、しっぽの骨を手に取ることはなかったでしょう。そうしたら骨の美しさや精巧さに気づけなかったに違いありません。そうして骨を手に取り、形の研究をはじめたからこそ、次はそうした研究手法の限界点に気づき、また新たな生物学的な研究を始めることができました。
生物学的な研究を数年続けたある日、研究費の申請書を書いていた私はふと、自分の申請書がとんでもなくつまらなく見えてきてしまいました。なんて小さくまとまっているんだろう。なんてお行儀がいいんだろう。そう思うと申請書だけでなく、書いている自分の頭がつまらなくなってしまったのです。
私の知りたいことは、こんなことだったろうか? 研究というのは本来楽しいものだったのではないだろうか。そこで気づいたのです。○○学や学部、文系、理系、そんなくくりにこだわっているから、つまらないのだと。枠の中でしか考えられないから、自分はつまらないのだと。
そこで、視野を広く自由にしなければと反省し、この先は自分のやりたかったしっぽの研究を全部やってやろうと思いました。大きな冒険になると思いましたが、とてもワクワクしました。その結果生まれたのが、現在の「しっぽ学」です。
文化表現の中にしっぽを探しはじめたことで、私は歴史的資料の読み方を身につけました。『日本書紀』が読めると、はるか昔の日本の有様を思い描けるようになりました。
私の場合はしっぽでしたが、きっかけはなんでも構わないと思うのです。「好き」は「もっと知りたい」につながり、「もっと知りたい」という思いは、我々の世界を広げてくれます。この世界は膨大で、人間一人が知り得ることなどすずめの涙ほどもありません。それでも、小鳥の一滴の涙ほどの知は我々一人一人の胸に抱えるワクワクを満たし続けるには十分な量です。しっぽをつかむ、といえばあまりいい場面で使われない慣用句ですが、しっぽの研究者としては、ぜひどんな方もご自身の好きのしっぽをつかんだら離さないことをお勧めします。好きをきっかけに世界を知っていくことは、とても豊かなことだと私は思います。
東島沙弥佳(とうじま・さやか)
1986年、大阪府生まれ。文系理系といった学問の枠にとらわれず、しっぽを通して「ひと」を知ろうという研究を「しっぽ学」と名付けて行っている。著書に『しっぽ学』(光文社新書、2024年)、『なんで人間にはしっぽがないの?』(新泉社、2025年)などがある。