みんなの読み物(エッセー) 箸たちとのダンス

2026.2.4

みんなの読み物(エッセー)

箸たちとのダンス

藤原辰史(京都大学教授)

今回の「みんなの読み物」は、農業史や環境史などがご専門の藤原辰史先生にエッセーをご執筆いただきました。ふだん何気なく使っている箸の働きに着目してみると……?

引き出しや水切り籠にかたづけられた二本の箸をじっと見つめると、まるで布団で寝ているように感じることがある。まったく同じかたちの二人が、たいへんな仕事を終えて、横になってごろごろしている。そんな気だるい空気さえ漂う。

だって、箸は毎日忙しいのだから。あなたの指につかまれたとたんに、まるで生きものみたいに動き回る。茶わんの中のお米を切り分けて、先端にそれを載せ、口の中に運んだ後、口の中を傷つけないまま、そこから脱出する。今度はおかずに自身を刺し入れ、落とさないように口まで運ぶ。重大な任務ばかりだ。朝も昼も夜も、あなたの唇に触れて、口の中に入っては外に出ていく。

仕事を終えると、毎回、洗われて干されてきれいになる。まるでお風呂につかった後のようだ。お肌がつやつやしている。私たちは、もっとあの二本の棒に感謝の気持ちを伝えてもいい。もっと深い愛情を込めて、それらを使ってもいいはずだ。

私は、箸の使い方がそれほど上手ではないから、上手な人を見ると驚く。まるで手の上で二本の棒がくっついたり離れたり音を立てたりして、ダンスを楽しく踊っているようだ。箸はたしかに注目されにくい。けれども、単なる食事の脇役といってしまうには惜しい。

小学校の頃、母親が家で割り箸を袋に詰める仕事をしていたことがある。手伝っていると、木の香りが部屋に広がる。あの香りが嫌いではなかった。だからかもしれないが、私は、ラーメンを食べるときも、選べるときは割り箸を選ぶ。スープが絡んだ麺を運ぶ割り箸が唇に触れるたびに、ラーメンはもちろん、割り箸自体もどんどんとおいしくなっているように感じるのは、私だけだろうか。

そんなだいじな道具だと分かっていても、おなかが減るとすぐにその大切さを忘れる。早く食べたいと思うほど、箸は頭の中から消える。割り箸も慌てて割るから、ささくれだったり、不格好になったりする。ある忙しい日、慌てん坊の私は、急いで食べようとする余り、箸の片方を口の中でかんで折ってしまったことがあった。今でもその嫌な感覚は口の中に残っている。

いつか箸たちは、自分たちを粗末に使ってきた人たちに対し、反乱を起こすかもしれない。実際、人間たちのやりたい放題に使われてきた世界中のロボットが団結して、人間たちを倒し、ロボットが支配する世界を作るという劇がある。カレル・チャペックというチェコの作家の『R.U.R.』、日本では『ロボット』というタイトルで紹介された作品だ。チャペックは「ロボット」という言葉の発明者である。ロボットとは、もともとは強制的労働を表す「ロボータ」というチェコ語から来ているという。言葉を持ち、人間の奴隷であることに疑いを抱いたロボットたちが人間のための仕事をやめて、武器を持って、人間たちを滅ぼしていくこの劇は、箸にだって当てはまるかもしれない。

想像してみよう、箸たちの地球規模の反乱を。箸たちは言葉を覚え、こっそりと人工知能を体内に搭載し始める。お互いに連絡を取り合い、決起の日の朝から箸は食器棚から動かなくなる。割り箸は割れなくなる。おかずをすくおうとすると、ぐにゃりと曲がる。口に運ぼうとすると、唇をつつく。人間がナイフとフォークにくら替えしようと思いついたときにはもう、箸たちは洋食器に自分たちの反乱に合流するよう手配を整えている。手で食べようとすると、今度は器や鍋が収納先から動かなくなる。すべての食器がこの革命に合流すれば、人間たちは原始の生活に戻らざるをえない。やがて人間たちより賢くなった食器たちは、自分たちが心地よく寝られる豪邸を人間に作らせるかもしれない。人間は箸箱のような狭い家に住まわされ、箸の奴隷として毎日働く。

こんな悪夢みたいな話は、少なくとも一つのだいじなことを教えてくれる。人間は、食事も、歯磨きも、入浴も、毎日同じ働きを繰り返してしか生命を保つことができない、ということだ。料理も掃除も、病人の看護も、赤ちゃんやお年寄りの世話も――。毎日繰り返される「ケア」と呼ばれる人間の人間に対するいたわりを、「あたりまえ」だと思い込み、感謝の気持ちを忘れがちである。ある哲学者は、このような仕事を「シャドウ・ワーク」と呼んでいる。「影の仕事」という意味だ。

私たちは、目立たない「影の仕事」がなければ生きていけない。ちょうど二本の箸のダンスのような、毎日繰り返される働きに目を凝らせば、「影の仕事」の息をのむような魅力に気づくかもしれない。そのてきぱきさに目を奪われるかもしれない。まずは、自分の心を少し落ち着けてから、唇に触れる箸のかたちをじっくり感じてみることから食事を始めてみよう。そしてゆっくり箸の動きを楽しもう。食べるという行為が、実は、箸やそのほかの食器とあなたとの「いたわり合い」であるということが分かるだろう。

縦書き、振り仮名付きはこちらPDF


藤原辰史(ふじはら・たつし)

1976年、島根県出身。専門は歴史学、特に農業史と環境史。著書に『食べるとはどういうことか 世界の見方が変わる三つの質問(かんがえるタネ1)』(農山漁村文化協会 2019年)、『たくさんのふしぎ 食べる』(福音館書店 2024年)など。

ほかの記事を読む

TOPへ