
2025.2.26
防災教育を考える
東京書籍の3年の説明文教材「いつものように新聞が届いた――メディアと東日本大震災」。その筆者の今野俊宏さんは、宮城県仙台市に本社を置く河北新報社に40年以上勤めています。東日本大震災から14年、河北新報社はどのような取り組みをしているのか、今野さんに話をうかがいました。
仙台市に本社を置く河北新報社
―― 東北の地方紙として取り組んでいることはありますか。
東日本大震災から14年の年月が経過しますが、あのときのことを忘れてはならないと、会社のロビーには当時のことを伝える写真や新聞記事を掲示しています。熊本や能登など全国で大きな災害が続く中で、東日本大震災は過去のことのように捉えられることが多くあります。そうした中で、3月11日近辺だけニュースに取り上げられることが多いのですが、私たちは毎日震災のことを伝え続けたいと社を挙げて取り組んでいます。
1階ロビーに展示されているパネル
―― ほかの新聞社と違うところがあれば教えてください。
記者全員が東日本大震災からの復興の途上であることを心に刻んだうえで、取材に臨んでいることは他社と違います。被災地で取材を続けている記者が今でもたくさんいます。時間が経った今だから被災地のかたに話してもらえることもあって、そういった声をしっかり聴いて報道しています。こういったことは3月11日近辺だからということではなく、一年中常に続けていかなくてはならないと考えています。
―― 震災報道の若手プロジェクトチームがあると聞きましたが、どういうきっかけで始まったのでしょうか。
震災からちょうど10年が過ぎた頃、社内の編集局の約200人の記者のうち、震災後に入社した若手が3割ほどになりました。彼らから相手を傷つけない取材の仕方が分からない、10年で取材され尽くした気がして何を記事にしたらよいかが分からないといった悩みをよく聞くようになり、震災報道若手プロジェクトチームが発足しました。
―― 若手記者にはどのような変化がありましたか。
プロジェクトチームでは、取材のテーマを決め、どのように取材をし、どういう記事を作るかを考え、具体的にどのように情報発信するのか、自分たちで決めています。先輩たちのアドバイスはあるものの、自分たちで完結するような活動を行っています。最初はとまどいがあったものの、被災地で取材をする意味やどのように取材を積み重ねたらよいかが少しずつ分かるようになってきました。
―― さらに若い世代にはどう伝えていくのがよいとお考えでしょうか。
先ほどのプロジェクトチームでは、震災報道を経験した先輩から話を聞く勉強会を行っています。次の世代にとってはそういった震災の伝承は、これから重要になっていくと感じています。プロジェクトチームの中には防災士の資格を取った人が4人います。単に東日本大震災のことを知るというだけでなく、自分たちも主体的に震災のことを伝えていくという姿勢が大切ではないかと思います。
また、宮城、岩手、福島など、各地で、震災当時はまだ幼かったり幼稚園児だったりした中高生が震災の語り部として活躍することが非常に増えてきています。経験していないから語れないというのではなく、自分で学んで語るということで次の世代につないでいっていることは心強く思います。被災地の取り組みを伝えながら、新聞社の中でもつないでいくということに力を入れていきたいです。
インタビューに答える今野さん
―― 震災後の14年で印象に残っていることはありますか。
個人の話にはなりますが、印象に残っていることの一つに、教科書の文章を読んだ中学3年生の皆さんから感想文を受け取ったことがあります。私の文章を読んで、一瞬にして地域が、家族が、学校が、友達が消えることがあるということに思いを寄せ、そういったことから家族や友達を大切にしたり、ありふれた日常の幸せをだいじにしたりしたいという文章を受け取りました。
その感想文のほかにも、もし実際に震災が起きたら自分が震災のことを伝えられるように努力したい、東日本大震災の記事を取り上げることによってたくさんの人に最悪なことが起こったということを覚えていてもらうことがだいじだと気がついた、身の回りで災害が起きたときに被災者を一人でも減らしていくために周りを助けられるように常日頃から考えていきたい、といった内容のものを受け取りました。このような感想文をもらって少しは役に立ったかなと感じます。教科書に書いたことの全てが伝わらなくても、たった一つでも何かが伝わっているとうれしく思います。
今野俊宏(こんの・としひろ)
1960年生まれ。宮城県出身。河北新報社常務取締役事業担当事業局長。気仙沼総局長、編集局長等を経て、現職に至る。