
2025.1.15
読書案内
「国語」を研究する先生はどんな本を読んでこられたのか。3回目の今回は愛知教育大学の矢島正浩(やじままさひろ)先生に「ことば」で学ぶこと、「ことば」から学べることに関わる図書をご紹介いただきました。ぜひご覧ください!
「国語」を授業でやることの意味って何だろう。物語は読みたい人が読みたいように読めばいいし、説明文だってあの中身を分かることが自分を高めることにつながっているとは思えない。古文なんて、社会に出て何の役に立つ?
なぜ国語を学ぶのか、十分に納得しながら授業を受けている生徒は必ずしも多くありません。少なくとも私はその一人でした。
「人間が容易に学ぶことをやめようとしないのは、学ぶことの苦しみ、喜びが、人間が生きるということの本質に根ざしたものであるからにちがいない。」(同書p.59より)
「国語学習の目的の一つは、母語による世界観の習得、確認、拡大、精密化などにある。」(同書p.88より)
そうした疑問を持っているかもしれない生徒の存在を意識した人の目には、本書に並ぶことばの数々は、理解が及ばずに模糊としていた世界に明確な輪郭を与えてくれる力に満ちたものとして映るはずです。国語は「よりよい人生、より豊かな生のために学ぶのである。」(同書p.188より)という、使い古されたかに見えるこのことばの意味を、もういちど考えてみてはいかがでしょうか。
日本語は、使い方ひとつで行き違いや違和感のタネともなり得る、奥深いツールです。
「お返事は一両日中にいただけるそうです。なので、明日夕方には間に合います」
この場合、先方は本当に「明日まで」に返事を寄越すつもりだったでしょうか。「なので」の使い方は、これで大丈夫なのでしょうか?(そもそもこの「大丈夫」の使い方は妥当?)
本書は、こうしたことばに関わる、ちょっとした「?」を取り上げます。でも、その「?」に急いでひとつの答えを出そうとしません。実際に、年齢や地域、性差などの点から日本全体でどう使っているか、その調査結果をじっくり観察します。そこで浮かび上がるのは、ことばが人々の求めに応じて、時代に合った最適な姿に変化していく様子です。日本語の生きているさまを見れば、「正しい」か「間違っている」かという問い自体が無意味であることや、人によってその言い方に対してどう感じるかが違うはずであることが分かってきます。
自分の認識が人とズレていたり、自分の感覚が世代や出身地にぴったりとリンクしていたり。「へえ~」と“快感”に身を委ねながら、「私の持っている日本語」によってしか自分が世界を認識できないという事実にはっと気づいてしまう…。そんなよきひとときを過ごさせてくれる一冊です。
「ことば」の持つ力や奥深さを知ることで、国語の学びの大切さをより感じられるのかもしれませんね。今回の記事で皆さんは何を感じられたでしょうか?
今後もこくごスタジオでは、全国の先生からのおすすめの本を紹介していきます。
次回もお楽しみに!!