
2024.2.14
教材探検隊
ついに始まりました「教材探検隊」! このシリーズでは、教科書に掲載されている教材を、あらゆる角度から掘り下げていきます。さて、記念すべき第1回目は、「オオカミを見る目」です。この教材を指導したことのある中学校の先生も、そうではない先生も、どうぞ最後までお付き合いください!
「オオカミを見る目」は生態学者の高槻成紀さんによる文章で、東京書籍の中学1年生の教科書に掲載されています。時代とともにオオカミのイメージが変わってきたことを例とし、社会状況の変化で人々の考えは変わるということを書いた説明文です。この教材は2012年から教科書に掲載されていますが、現場の先生方からの評価も高く、今では東京書籍の定番教材の一つとなっています。
さてこの教材の中では、「昔の日本ではオオカミが敬われていた」ことを示す一例として、埼玉県の「三峯神社」が取り上げられています。しかし、教科書上には、オオカミが神としてまつられていますという一文しかなく、詳しい内容は書かれていません。でもオオカミをまつる神社って、一体どういうところなのか知りたくなりませんか? そこで編集部では、実際に行ってみることにしました。果たしてオオカミが、どれだけ特別な存在だったのか? そこにはさまざまな秘密が隠されていました。
東京を出発しておよそ3時間、ようやく埼玉県秩父市にある三峯神社に到着しました。すでに標高は1,000mを超え、秩父の山々に囲まれた、見渡す限りの絶景が広がっています。都会の喧騒を離れ、新鮮な空気を吸うだけで心が洗われるようです。ふとスマホの地図を見ると、近くに「旧大滝小学校三峯分校」と書かれているのを発見しました。どうやら1980年には閉校してしまったようですが、こんな山深いところにも小学校があったとは、ちょっと感動です!
めずらしい三ツ鳥居をくぐって進む
「腹が減っては探検はできぬ」ということで、まず食事をすることにしました。なんと三峯神社の境内には、食堂があるのです。メニューとにらめっこすること1分、名物と書かれている「しいたけ丼」を注文することにしました。そしてこれが大正解! 地元で採れた肉厚のしいたけを使っているようで、とても美味しかったです。ちなみに食堂のある建物は「興雲閣」と呼ばれ、200人収容の宿泊施設になっています。
名物のしいたけ丼
三峯神社では、まつられている神様の眷属(使者)だったオオカミも、神様としていっしょにまつられています。古くは「日本書紀」に、オオカミを「貴き神」と呼んだ話があり、また「大和国風土記」にも、今の奈良県明日香村辺りにいたオオカミを、人々が恐れて「大口真神」と呼んだ話があったと伝えられています。昔からオオカミは人にとって特別な存在だったようです。
それでは境内の探検開始です。さまざまな場所にオオカミがいます!
狛犬ではなくオオカミの像
こちらにも二匹
こんなところにも
自動販売機にも
神様であるオオカミですが、常に神社のある山中を動き回っているそうです。そのため、おまつりする社も、あくまでも仮の場所ということから、「御仮屋神社」と名づけられています。同じ場所にじっとしていないというのは、何とも動物の神様らしいですね!
御仮屋神社の鳥居
御仮屋神社
一般的な神社では、御札を持ち帰り、その御札を通して神様を拝みます。しかし、三峯神社は違います。御眷属札と呼ばれる御札を依代として、神様であるオオカミを借りて、実際にその地域やご家庭に来てもらうというのです。これを「御眷属拝借」と言うそうです。始まりは江戸時代、田畑を動物の被害から防ぐ害獣駆除のお礼として、そして今ではそれが転じて火防、盗賊除け、災い除けとして、オオカミを借りるそうです。御眷属札の効力は一年間で、なんと御札一体で50戸もの家に対して効力があるそうです。
御眷属札
江戸時代になると、講が組織され、全国各地から三峯神社に参拝に来るようになりました。「代参講」といって、集落のみんなでお金を出しあい、住民の代表が旅行も兼ねて参拝したのが始まりだそうです。また、「団参講」という地域や仲間で組織された団体で参拝することも多かったようで、多くの庶民にとってオオカミは信仰の対象だったようです。なお代参講や団参講は、現在でも大切な行事として受け継がれており、また病気が流行するのを防ぐために、オオカミの札を集落の入口や道の辻に立てる地域も残っているそうです。
全国各地で組織された講の石碑
いかがでしたでしょうか? やはり教材に書かれていた通り、昔からオオカミは人々に敬われる存在だったいうことを改めて知ることができました。興味のある先生は、ぜひ実際に行って、教材研究を深めてみてください。それでは次回もどうぞお楽しみに!
(取材協力 三峯神社権禰宜 山中俊宣 様)